母の実家は代々、村長を務めてきた。
昭和はもちろん、平成に入っても「村長さんの家」と言えば通じた。今は知らない。
話を聞くに、お祖父様の父の代まで村長をしていたようだ。
お祖父様から聞いた村長の息子時代の話を1つ挙げる。
お祖父様が子供の頃というから昭和の初め、村にタクシーが2台しか無かった時分に優先で使用できたのだそうだ。
今は周りに大きな家がいくつも建ったが、敷地の広さもさることながら僕が小さな頃はお祖父様の家はすごく目立っていた。
さて、ここからは記憶を頼りに間取りを説明してみる。
道から少し入った所に石でできた門があり、右手にちょっとした庭園、左手は中庭が覗けないように樹木の壁。
その間を進んだ先に開けた場所があり、家と二階建ての納屋。さらに納屋の奥に米蔵を内蔵した土蔵がある。3つの建物は通路で結ばれており、雨風を避けて行き来できる。
通路のついた場所が勝手口で、玄関は家人および一般客用と、お祖父様および賓客用の2つがある。
お祖父様および賓客用の玄関を上がると目の前に応接間(室)、その左手に大広間がある。
公民館などがなかった時代、そこで会合などをしたのだろう。
大広間の奥に客間がある。ここの縁側から中庭に出ることもできる。
家人用の玄関から入ると右手にトイレと土蔵や納屋に向かう通路。この玄関には年中、おばたちの手による生け花が飾られていた。
玄関からまっすぐ進むとさらに浴室、突き当たりに食器が収納された棚、右に台所、左に居間。
この居間が普段の食事場所だった。
窓の外には裏庭と池。池の中でもこのエリアは比較的浅く、川魚が泳いでいた。
台所は典型的な昭和のお台所といった感じのものだ。台所の真下、窓側にも池が続いており、そこは少し深く、丸々とした鯉の泳ぐエリアだった。池は浴室の外側で終わっていて、そこは金魚のエリアだったように思う。
玄関から見て手前のエリアが来客用、奥が家人用という間取りだ。
廊下は家人用の玄関からまっすぐに延びており、突き当たりで左に折れて、家屋の南側にやはりまっすぐ延びて、その突き当たり、最も南側がお祖父様の部屋だった。その手前に化粧部屋。鏡台が置かれていた。
お祖父様の部屋に隣接して書斎。
書斎の壁際に隠し階段がある。
昔、従兄弟たちと二階側から隠し階段を発見して大興奮したものだが(笑)、お祖父様の書斎に通じているとは知らなかった。
一階はこんな感じ。
二階に上がるメイン階段は家のちょうど中央に位置しており、少し急な階段だった。
二階はおばたちの部屋と、布団部屋?、あとよく分からないエリアがあった。鳩の出入りできる天窓みたいのがあった気がする。
今は叔母の代になり、居間もキッチンもモダンな空間に変身してしまった。
池も水が抜かれて埋め立てるという。
村長さんの家としての役目を終えたからか、庭園の手入れもあまりされていない様子。
敷地は変わらず広大だが、昔を思い出すに、さびしさはつのる一方だ。
昭和の家というテーマで書いてみた。
実家を描写したのではつまらないので、在りし日のお祖父様の家のことを書いた。
昭和はもちろん、平成に入っても「村長さんの家」と言えば通じた。今は知らない。
話を聞くに、お祖父様の父の代まで村長をしていたようだ。
お祖父様から聞いた村長の息子時代の話を1つ挙げる。
お祖父様が子供の頃というから昭和の初め、村にタクシーが2台しか無かった時分に優先で使用できたのだそうだ。
今は周りに大きな家がいくつも建ったが、敷地の広さもさることながら僕が小さな頃はお祖父様の家はすごく目立っていた。
さて、ここからは記憶を頼りに間取りを説明してみる。
道から少し入った所に石でできた門があり、右手にちょっとした庭園、左手は中庭が覗けないように樹木の壁。
その間を進んだ先に開けた場所があり、家と二階建ての納屋。さらに納屋の奥に米蔵を内蔵した土蔵がある。3つの建物は通路で結ばれており、雨風を避けて行き来できる。
通路のついた場所が勝手口で、玄関は家人および一般客用と、お祖父様および賓客用の2つがある。
お祖父様および賓客用の玄関を上がると目の前に応接間(室)、その左手に大広間がある。
公民館などがなかった時代、そこで会合などをしたのだろう。
大広間の奥に客間がある。ここの縁側から中庭に出ることもできる。
家人用の玄関から入ると右手にトイレと土蔵や納屋に向かう通路。この玄関には年中、おばたちの手による生け花が飾られていた。
玄関からまっすぐ進むとさらに浴室、突き当たりに食器が収納された棚、右に台所、左に居間。
この居間が普段の食事場所だった。
窓の外には裏庭と池。池の中でもこのエリアは比較的浅く、川魚が泳いでいた。
台所は典型的な昭和のお台所といった感じのものだ。台所の真下、窓側にも池が続いており、そこは少し深く、丸々とした鯉の泳ぐエリアだった。池は浴室の外側で終わっていて、そこは金魚のエリアだったように思う。
玄関から見て手前のエリアが来客用、奥が家人用という間取りだ。
廊下は家人用の玄関からまっすぐに延びており、突き当たりで左に折れて、家屋の南側にやはりまっすぐ延びて、その突き当たり、最も南側がお祖父様の部屋だった。その手前に化粧部屋。鏡台が置かれていた。
お祖父様の部屋に隣接して書斎。
書斎の壁際に隠し階段がある。
昔、従兄弟たちと二階側から隠し階段を発見して大興奮したものだが(笑)、お祖父様の書斎に通じているとは知らなかった。
一階はこんな感じ。
二階に上がるメイン階段は家のちょうど中央に位置しており、少し急な階段だった。
二階はおばたちの部屋と、布団部屋?、あとよく分からないエリアがあった。鳩の出入りできる天窓みたいのがあった気がする。
今は叔母の代になり、居間もキッチンもモダンな空間に変身してしまった。
池も水が抜かれて埋め立てるという。
村長さんの家としての役目を終えたからか、庭園の手入れもあまりされていない様子。
敷地は変わらず広大だが、昔を思い出すに、さびしさはつのる一方だ。
昭和の家というテーマで書いてみた。
実家を描写したのではつまらないので、在りし日のお祖父様の家のことを書いた。
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